「人生の夢」と「眠りの夢」

「夢」という仮想空間

 同じ「夢」という漢字を使っているのは意味が同じだからです。

フィルムが投影され映り出されたものが映画であるように、脳に記憶されているプログラムが投影されて見えてるのが「現実空間」です。

眠っているときに見る「夢」もまた脳の投影された「仮想空間」ですね。

「人生の夢」と「眠りの夢」は、どちらも脳の反映された映像です。

どちらも脳内のデータに基づいています。

しかし、「人生の夢」と「眠りの夢」はデータの組み立てが違っています。

別の表現をすると脳内の使用メモリーに違いがあるのです。

「眠りの夢」のメモリーは無限大です。だから自由奔放に映像を創ることが出来ます。
一方「人生の夢」はメモリーが少ないので思考の枠内でしか映像を創り出すことが出来ません。

「眠りの夢」のデーターを「人生の夢」に持ち出すためには、「眠りの夢」を記憶する必要があります。
毎晩見る夢を思い出し、夢日記に書いておくことです。

日常生活の中でときおり起こる「ひらめき」や「直感」は、「眠りの夢」の断片が意識に上がってくる現象です。

「人生の夢」と「眠りの夢」のどちらも「意識の方向性」によって組み立てられます。

見たい夢を心に強くもって眠りにはいると、何日かあとに夢の中に現れてきます。
「人生の夢」も目標を持つことによって、それに関係するデーターが意識に上がってきます。

私が言いたいのは、「人生の夢」と「眠りの夢」は一体であるということです。

人生に夢や目標をもっていると、奇想天外な眠りの夢となり、その夢が「人生の夢」の達成の材料となっているのです。

 「仮想空間」と「現実空間」は同じものです。

「空間」は「時間」と関係しています。「時間」と「空間」もまた「時空」として一体なのです。

 「仮想空間」と「現実空間」の中の時間の流れは逆になっています。

映画で例えると、眠っている時の夢の世界は、フィルムを逆に回しているのです。
物が落下するシーンは、眠りの夢の中では逆に空中に浮き上がって行くシーンになります。

眠りの夢が脈絡もないように感じるのはこのためです。

いつかまた、眠りの時間について書いて見たいとおもいます。

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