シンクロニシティーの謎4
シンクロニシティは、前もって知ることが出来るのでしょうか。
「そんなことできるわけがない」
「知らないからシンクロニシティなのだ」
そんな声が聞こえてきそうですね。
私はシンクロニシティを事前に知った体験を何度もしています。
もちろん100%ではない、たまにそんなことがあるというレベルです。
シンクロニシティは自分の意識との関わりなので、どんな無意識状態のときに起こりやすいのか。
問題意識をもちながら試行錯誤しながら実験を試みました。
何のことはない、シンクロニシティを事前に知るシステムは古代から確立されていたのです。
それは「易学」の世界でした。なかでも「周易」は未来を読み込む最大の知恵の体系として完成されていたのです。
中国で生まれた「易経」は東洋哲学の神髄です。
ユングと「易経」との関わりは有名な話ですね。
逆にユングはこの「易経」からヒントを得て、シンクロニシティの理論を構築したといわれているほどです。
ユングは自分の死の瞬間まで「易」を立てていたといわれています。
私の研究は遠回りすることになったが、そのお陰でシンクロニシティに対する理解がより深まりました。
「易経」に出会ってからしばらくの間「易経」の虜になってしまいました。
シンクロニシティを研究する手段として「易経」を紐解いたのが、手段が目的に入れ替わってしまったというわけです。
ミイラ取りがミイラになってしまいました。
易を立てるのは簡単だが、その背景となる理論はとても難解です。
私は易の専門家を目指したわけでないので途中で打ち切った。
「易経」はノーベル賞に値するほどの、恐るべき人類の一大発見であると思っています。
ただ科学的信奉者や合理主義者にとっては、お遊びの類を出ないようです。
真剣な顔で筮竹を振り回し、運命を観る易者の姿は滑稽に映るのでしょうか。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といわれる所以です。
未来の偶然を見つけるのに、筮竹という偶然の道具を使ってもなんらおかしくはない。
精通したら筮竹でなくて、六枚のコインでも何でもいいですね。
「易」は四十歳を過ぎてから学べといわれています。
なぜなら若いうちから「易」を学ぶと、すべてがわかり人生が面白くなくなるという説と、
余りにも難解なので四十を過ぎないと理解できないという説があります。
いずれの説にしてもそれだけ奥が深いということですね。
ハルピンの駅で暗殺された伊藤博文は、出発の前に「易」を立て、その卦が「暗殺」を暗示していた
といわれています。
ユングは自分の「ユング自伝」のなかで、
「私は易を実際にやってみて、非因果律的な物象(後に私がシンクロニシティと名付けた)を暗示するように
見える驚くべき符号に度々遭遇した」と書いています。
易はシンクロニシティを読み解く鍵です。
よくよく考えてみると、易を立てるターゲット(問題点)は自分が考えだし、筮竹(コインでもよい)という
偶然の道具を使って、出てきた卦が自分の運命と符合するというのは、自分の意識がシンクロニシティを呼び込んでいる現象です。
自分の思ったターゲットと易の卦が「意味のある偶然の一致」を起こしているだけです。
乱暴ないいかたをすれば「思うだけでシンクロニシティが起こる」ことになります。
しかも自分の意識でシンクロニシティを起こしているのだから、自分に取って意味があるのは当然です。
意識でターゲットを絞ると「偶然」という形で「答えがやってくる」ということですね。
私は「偶然は神様からの贈り物」だと思っています。