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人生は幻想なのか

人生は幻想なのか

私たちは何の疑問も無く時間の存在を認識しています。
その時間に対する認識の仕方は人それぞれ違っているから面白い。

時間は想像の産物なのか、それとも物理的に存在しているのか、この問題は物理学者さえ意見が分かれています。

話を仏教の「空と縁起」から洞察すると、宇宙の相互作用で生起している単なる現象に過ぎないともいえそうです。

観測の位置によって相対的に時間が延びたり縮んだりしている現象も宇宙の相互作用の中で起こっています。

そんな難しく考えないで

物体を上から見るか下から見るか、または左右から見ると
違った形に見えるのと同じです。

無数の縁起によって宇宙が成り立っているとすれば、宇宙の存在そのものも現象と思っても何ら不思議でもありません。

海流の流れによって「渦」という現象が現れているだけで
海流の流れが変われば、「渦」は無くなってしまいます。

仏教流にいえば「無」に帰すということになりそうです。
そういえば、現在の物理学の世界でも「無とは何か」という究極の問題に行き着いてしまったようです。

時間が想像の産物だと仮定すれば、時間に沿って生きている私たちも「幻想の世界」にいるのかもしれません。

物体を見る位置によって形が違うように、時間の認識も違っても不思議ではありません。

想像の世界で「過去、現在、未来」という分節をつくり、人生途上で起こる出来事(現象)を時間という物差しで計っているのです。

時間が長く感じる人も、短く感じる人も、時間が流れていると感じる人も、流れていないと感じる人も、時間など存在していないという人も、時間は存在しているという人も様々です。

現象を計る時間という物差しは一定で無く人によって違っているということですね。

過去と未来の想像が現在の現象を生み出します。
あたかも時間が流れているように−。

3000年昔のバラモン教での中に
「私とは認識するもの」と看破し、現代科学と何ら変わるものでは無い。

自分が認識している世界がすべてであり、それも自分の想像による「幻想の世界」です。

幻想といわれても、私たちには現実感がともなっています。
人間の脳は現実と想像の区別がつかないように機能していると脳科学者はいっています。

「人生は幻想なのか」

ならば、せめて楽しい夢を見ようではありませんか。
自分の想いをポジティブにもって人生を送る方が幸せになるという結論ですね。

自分が自分を縛っているネガティブな想いから脱却さえできれば…

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