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意識と量子論の親和性

意識と量子論の親和性

科学の発達は日進月歩で進んでいます。

私たちが高度の文明を発達させてきたのは科学のおかげです。

昨今のコンピューターの発達も
とりわけ量子論の科学の恩恵ですね。

人工知能(AI)も人間の脳に近づきつつあります

しかし科学といえども一つの謎が解明されると次の謎が現れてきます。

宇宙は謎に満ち溢れています。

量子の世界も真の姿をなかなか人間に見せてはくれません。

もう一つの謎は人間の意識です。

一級の科学者たちの行き着いた先が「仏教」だったのです。

2500年前の仏教哲学は科学の未来を先取りしていたのです。

なんと驚きですね。

科学は釈迦の手のひらから抜け出ていないなどと比喩的に語られています。

仏教に「諸法無我」「諸行無常」という教えがあります。

「諸行」とは森羅万象の宇宙のことです。

「諸法」とは、その宇宙を存在させている「場」のことです。

「場」は時間も空間もエネルギーも存在していない「無の状態」です。

それでは「無」とはなにかと
次々と難問が吹き出てきます。

物理学者はついに「無」の壁の前で当惑しているのです。

「諸法無我」は難解な謎解きです。

自分の目で自分の目を見ることができないように、

「私が私を認識できない」という悟りを東洋の人々は3000年前にその壁にぶちあったっていたのです。

2500年前の仏教哲学は科学の未来を先取りしていたというわけです。

日本最高の理論物理学者池内了氏(いけうちさとる)はこのように話しています。

「様々な発見をしてきた物理学だが、物理学者は未だに仏の
掌をうろうろしている存在でしかない」と。

今回の水口発想塾では「不思議な量子の世界」に挑戦してみたいと思います。

物理学の勉強ではないのでブレイクスルーとして楽しんでください。

あなた自身が宇宙の「場」であることがわかります。

「天上天下唯我独尊」

と、釈迦は諭しています。

まあ、究極の夢の実現は「量子論」の中にあるかもしれませんね。

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