アサイド

知識という鎧を身につけると

知識という鎧を身につけると
子供の頃は誰でも大きな夢を持っていました。
ところが大人になると、だんだんその夢が小さくなりやがて消えてしまいます。

それは「知識」で自分を縛ってしまうからです。
腰が痛くなったとしましょう。
そこで「知識」が頭を持ち上げます。

「重い荷物を持ち上げたからだ」
「悪い姿勢で一日座っていたからだ」
「寝違えたからだ」

と、次々と自分の知識で分析が始まります。
最後に原因不明で殻に閉じこもってしまいます。

こんな人にある知恵者がアドバイスをしました。
「それは春になって体が緩んだためですぐに治ります」

ところが腰の痛い彼は、アドバイスを聞くどころか知恵者をバカにします。
「知恵」のあるものは生命の真理を感じ、彼に投げかけただけです。
「知恵」は数々の体験や経験から真理を発見する心の動きです。
間違った「知識」を身につけてしまうと、「知識」という鎧を身に纏い「知恵」から遠のいて行きます。

「知識」が増えるほど判断が狂うためです。

正しい判断をするために「知識」を身につけるのでは?
その判断そのものがすでに「知恵」をなくしているのです。

人生の夢を叶えるのは「知恵」です。

決して「知識」ではありません。

「知識」を「知恵」に変えたときに初めて本当の「知識」を学んだことになります。

知識人の中に時折、人格的に歪んだ人がいます。
「知識」を持っていても人格を変えることができません。

しかし、「知恵」は人格を変えていきます。
「知恵」は体験経験から生まれてくるからです。

自分以外の体験や経験をした人はこの世にあふれています。

泳ぎの本を100冊読んでも泳げません。

泳ぐためには川や海に入り泳ぎを体験することです。

「知恵」のない「知識」は却って危険です。

「知識」という鎧さえ外せば、人生で出会う人は、みんな自分の師となる人々です。

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