時間と空間の謎に迫る
物理的時間と心理的時間
「時間とは何か」と改めて考えると正体不明の怪物のような存在だ。
時間には三つある。「物理的時間」「時計の時間」「心理的時間」だ。
この三つがいつも絡み合っている。
時間はエネルギーなのか、物質なのか、よくわからない。
時間とは何かを追求すればするほど、時間などもともと存在していないという結論になってしまう。
物理的に考えても哲学的に考えても、最後は、「時間などない」ということに行き着いてしまうのだ。
でも、私たちは限られた時間の中で有限の人生を送っているし、毎日時間に追われながら仕事をしている。
「時間などない」といわれてもピンと来ない。
時間とは人間の感覚が創りだした概念かも
しれない。
創りだされたものである限り、その人の感性によって時間感覚が違っても何ら不思議ではない。
だから、それぞれの国の文化によって時間の概念や感覚が違ってくる。
時間の流れも文化圏によって違っているものだ。
欧米では過去から未来に時間が流れているという感覚だが、昔の日本では未来から過去へ時間が流れている感覚である。
中東なのでは時間が流れているという感覚すらないそうだ。
また時間の流れの速さも人によって違っている。
「時間とはなにか」と考えれば考えるほど、迷路に入ってしまう。
物理的な時間の速さは、観測者の位置によって速さの感じ方が違う。
同じ速度で走る車同士から見ると相手は止まっているように見える。
私たちが時速何キロで走っているという表現は、地面に対してのことである。
その地面もまた動いている、なぜなら自転している地球上にいるからだ。
その地球も太陽の周りを公転している。
速さは観測者の位置によって相対的に違っているのである。
物理学は、光の速さがどの座標系から観測しても一定であることを発見した。
光の速さだけは観測者の位置が違っても速度は同じという不思議な存在なのだ。(光速不変の原理)
これでは矛盾が生じる。
実は光の速度は一定なので光の速度に合わせて、時間が伸びたり縮んだりしていることがわかった。
光の速度に近づくほど時間がゆっくり進むことになる。
アインシュタインは「相対性理論」の中でそのことを証明した。