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個と全体の調和は延々のテーマである

個と全体の調和は延々のテーマである

個と全体はいつも対立を生み出しています。

個が存在するから全体が成り立ち、また全体が存在するから個の存在が成り立ちます。

例えば会社でも社員がいて会社が成り立つし、会社があるから社員も仕事ができるわけです。

人は一人で生きていくことはできません。
社会という全体の存在によって個人は生存可能です。

個が行き過ぎると無政府状態に陥り、全体が行き過ぎると個人の自由が束縛されます。

個と全体はいつも揺れ動いています。

私は物事の現象を「陰陽」で捉えています。

個=陰(自由を求める)

全体=陽(規律を求める)

もし「規律」がなければ、「自由」がなくなります。

道路交通法(規律)がなくなれば、街中事故だらけになるでしょう。
安心して走れるのは「規律」があるからです。

「規律」が過剰になれば、逆に自由に運転できなくなります。

この自由と規律はいつもバランスに向かっています。

すなわち、個と全体の調和です。

しかし現実は個と全体がいつも対立を生み出しています。

陰陽から見れば調和に向かって対立が生まれていることになります。

「国民は自由を求め、国家は法律で国民を縛る」

この対立が表に出ているのが「リベラルと保守」「左翼と右翼」という思考の軸です。

陰陽から見れば、そんな対立は存在しません。

陰は陽に向かい、陽は陰に向かうからです。

戦後レジームからの脱却を掲げる安倍総理が米国に追従して、日米の結束を強化するのは「矛盾と考えるか、弁証法で考えるか」によって未来が変わります。

私は陰陽的に見ているだけです。

そのうち(今でも)「リベラルと保守」「左翼と右翼」は逆転して、保守派はリベラル化し、リベラル派は保守化していくに違いありません。

個と全体は調和に向かって(陰陽の法則に従って)いつも動いています。時代によりどちらかに偏るのです。

「陽極まって陰となる」時代に、私たちは生きています。

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