東洋思想は循環思想です。
だから終わりと始まりはありません。
何が始まりで、何が終わりかは主観的で決められています。
今日から新たに何かを始めようと決意した時、今までのことは終わったという含みがあります。
今日で終わりにしようと決意した時、明日から新たな始まりであることを意味しています。
どちらを意識しているかだけで、終わりも始まりも同じ位置にあります。
すなわち「終わりの始まり」です。
主観的ということは、始まりも終わりも人によって違うということです。
「そんなことはない」という声が聞こえてきそうですね。
一日の始まり、一週間の始まり、一ヶ月の始まり、一年の始まりは
みんな同じではないかと。
それは社会の約束事に過ぎません。
時間の区切りを設けないと社会が機能しないからです。
地球は毎日同じように自転しているだけです。
太陽の回りを地球が繰り返し回っているだけです。
40歳の人は生まれてから太陽の回りを40回廻ったという記録しすぎません。
因果応報というではありませんか。
これもまた、現象は循環しているということです。
何が始まりで、何が終わりかは主観で決めています。
始まり→中→終わり、これがぐるぐる廻っています。
「中」を何にするかによって始まりと終わりを決めているに過ぎません。
会社の月次決算も年次決算も「中」をどうするかを見ているだけです。
始まりと終わりを決めないと、人は不安定になります。
もし、自分に死という終わりがなければ恐怖にかられるでしょう。
死を恐れるより、死が存在しない恐怖の方が大きいような気がしませんか。
「未来永劫に死ぬ事ができない」これほどの恐怖があるでしょうか。
だからといって死を喜ぶ人は誰もいません。
死はやはり怖い存在です。
だから「輪廻転生」という考え方を生み出しました。
終わりはいつも始まりなのです。
あなたが終わりと思ってることは、実は新たな始まりのことです。
「終わりの始まり」
東洋の循環思想の究極は「色即是空・空即是色」ということでしょうか。
始まり→中→終わり、この「中」とは無限であり有限でもあります。
「中」がなんであるかで人生の生き方がずいぶんと違ってくるものです。