鶏鳴狗盗
中国の故事に「鶏鳴狗盗」という話があります。
「どんなに取り柄のない人でも何かひとつ特技があるものだ」という意味です。
「取り柄のない人」という意味にも使われています。
鶏の鳴き声がうまい人と、盗みがうまい人がある場面で役に立ったという故事から生まれました。
私はこの故事からこんなことを思いました。
「取り柄のない人」でなく、能力を発揮できる環境や場面がなかっただけで、ほんとうは「取り柄のある人」だったのです。
私の知人は勤めていた会社で無能呼ばわりされていました。彼はその会社を去り、他社に転職しました。
ところが、その転職先で大いに認められて短期間で管理職に昇進したのです。
彼は「取り柄のない人」ではなかったのです。
会社のトップは人を見抜ける力がないと優秀な人材を逃してしまうということですね。
また適材適所が如何に大切かということにつながります。
どんな人にも役立つ何かを持っているものです。
それを活かすか殺すかはリーダー次第です。
優れたリーダーは本人も自覚していない能力さえも磨きをかけて実力者に育て上げます。
部下をを無能呼ばわりしているリーダーは、自分自身が無能なのです。
「鶏鳴狗盗」と故事に残るぐらいだから、普通はそのことに気づかないということかもしれませんね。