企業は社会の公器である
企業は社会の公器といわれて久しい。
社会に貢献しない企業は自然淘汰されていくに違いありません。
今や企業はコンプライアンス(法令遵守)をやかましく言われています。
法治国家の元で法を犯すことは、非社会的行為であることは言うまでもありませんね。
「彼を知らず己を知らざれば戦うごとに必ず殆うし」孫子の兵法
「彼を知らず己を知らざる」企業がなんと多いことか。
しかし、時代背景や国際状況の変化の中で日夜奮闘しているそれぞれの企業にとって、何が社会的なのかという基準も曖昧になりがちです。
悪法も法なり、現実に合わない法律もたくさんあることでしょう。
その狭間で企業は揺れ動いています。
政治家や企業の不祥事件、贈収賄に絡む汚職事件が頻発しています。
社会全体のモラルが地に落ちてしまった感があります。
今や人々は夢や目標を喪失し何を信じていいのかも分からず刹那的に生きています。
折からの不況で国民は青息吐息で人様のことなどに配慮できる心の余裕さえ見失いつつあります。
「衣食足って礼節を知る」とよく言ったもので、いまや恥も外聞もない低堕落な状況です。
こんな時代であるからこそ「会社は公器である企業理念」は心のよりどころとなり、会社発展の根幹になりうるのです。
「道徳の無い経済は悪だ」と二宮金次郎は戒めています。
この企業理念は会社の魂です。
理念なき会社は滅びざるを得ません。企業は社会の公器であるからこそ企業は生成発展していくのです。
理念なき会社にどうして活力が生まれてくるでしょうか?
会社をはじめ組織のトップの社会的責任はますます重くなっていきます。
ましてや、人々の生命を脅かす企業などは論外であります。
共存共栄している社会の原点に立ち戻り、人が人たる道を外してはならない。