夢で見たことが現実に起こったという「正夢」もシンクロニシティーのひとつです。
ところが夢は意識でコントロールできませんね。
古代の人は夢をコントロールする修行をしていました。
ところで、シンクロニシティは、前もって起こすことが出来るのでしょうか。
ちょっとした訓練でできるようになります。
シンクロニシティーは訓練しなくても日常茶飯事に起きているのですが、いつどんなシンクロニシティーが起きるのかはわかりません。
シンクロニシティーが起こりやすい意識層があります。俗にいうところの「変性意識」です。
夢は深い意識層に入ってる状態なので、予知夢まで起こるのです。
ロストテクにロジーでは、以前に「シンクロニシティー」のワンディセミナーを開催していました。
今は他のセミナーの中に融合させているので開講していません。
「そんなことできるわけがない」と思われるかもしれませんね。
私はシンクロニシティを事前に知った体験を何度もしています。
もちろん100%ではない、たまにそんなことがあるというレベルです。
何のことはない、シンクロニシティを事前に知るシステムは古代から確立されていたのです。
それは「易学」の世界でした。なかでも「周易」は未来を読み込む最大の知恵の体系として完成されていたのです。
中国で生まれた「易経」は東洋哲学の神髄です。
ユングと「易経」との関わりは有名な話ですね。
逆にユングはこの「易経」からヒントを得て、シンクロニシティの理論を構築したといわれているほどです。
ユングは自分の死の瞬間まで「易」を立てていたといわれています。
私の研究は遠回りすることになったが、そのお陰でシンクロニシティに対する理解がより深まりました。
「易経」に出会ってからしばらくの間「易経」の虜になってしまいました。
易を立てるのは簡単だが、その背景となる理論はとても難解です。
私は易の専門家を目指したわけでないので途中で打ち切りました。
「易経」はノーベル賞に値するほどの、恐るべき人類の一大発見であると思っています。
ただ科学的信奉者や合理主義者にとっては、お遊びの類を出ないようです。
真剣な顔で筮竹を振り回し、運命を観る易者の姿は滑稽に映るのでしょうか。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といわれる所以です。
未来の偶然を見つけるのに、筮竹という偶然の道具を使ってもなんらおかしくはありません。
精通したら筮竹でなくて、六枚のコインでも何でもいいですね。
ユングは自分の「ユング自伝」のなかで、
「私は易を実際にやってみて、非因果律的な物象(後に私がシンクロニシティと名付けた)を暗示するように見える驚くべき符号に度々遭遇した」と書いています。
易はシンクロニシティを読み解く鍵です。
よくよく考えてみると、易を立てるターゲット(問題点)は自分が考えだし、筮竹(コインでもよい)という偶然の道具を使って、出てきた卦が自分の運命と符合するというのは、自分の意識がシンクロニシティを呼び込んでいる現象です。
自分の思ったターゲットと易の卦が「意味のある偶然の一致」を起こしているだけです。
乱暴ないいかたをすれば「思うだけでシンクロニシティが起こる」ことになります。
しかも自分の意識でシンクロニシティを起こしているのだから、自分に取って意味があるのは当然です。
意識でターゲットを絞ると「偶然」という形で「答えがやってくる」ということですね。
私は「偶然は神様からの贈り物」だと思っています。
さらに研究を進めていくうちに辿り着いたのが「場」という宇宙のエネルギー場でした。
「場」の話はまた後日談に譲りたいと思います。