人生の旅日記」カテゴリーアーカイブ

情報は命綱である

情報は命綱である

国家の情報戦は今や言うまでもありませんね。

もちろん国家だけではなく企業にとっても情報なくして
戦いに勝つことはできません。

それでは個人はそれほど国家や企業ほど情報は必要ないのかと
いえばそうではありません。

時代は個の時代に入っています。

実は情報力の差は経済力の差にもろにつながっています。

「情報はまさに命綱」と言わねばなりません。

どこにどんな情報があるのか、この情報は本物なのか偽物なのか
それを見極める力がなければ、情報力があるとは言えません。

情報力は一朝一夕では身につきません。
日頃から情報リテラシーを磨いておくことです。

個人レベルでも情報に疎い人と積極的に情報を活用することのできる能力
を身につけている人の二極分化が進んでいます。

「情報は命綱である」ということに気づいている人は時代を乗り切る
感性を持っていますが、心に響かない人は、やがて時代から取り残される
のは目に見えています。

追伸

水口発想塾では少しでもお役に立つように、今月はこれからの未来を
予測できるように「特別講演」を準備しています。
http://ilt.jp/mizuguti/mizuguti/

成長に応じて夢は変化するもの

成長に応じて夢は変化するもの

夢って変化するんです。

子供時代の夢と大人になった時の夢は違いますね。

どちらの夢が大きいと思いますか。

意外と子供の頃の夢の方がデカイものです。

子供は純真に自分のなりたい夢を描きますが
大人は社会の厳しさを知ることによって
夢も現実的で小さなものになってしまいます。

成長に応じて夢は変化していくのです。

でも世の中には大人になっても子供時代の夢を
忘れないで、叶えてしまう人もいます。

夢を叶える可能性から考えるとお金も人脈も知識もある
大人の方が多いはずです。
なのに夢は小さくなっていくのです。

不思議ですね。

大人は可能性があるのに無いと思うし、子供は可能性が
無いのにあると思っているのです。

これは心の問題ですね。

大人になっても子供心を持った大きな夢は叶うということです。

ところが今の子供の夢は昔と比べて小さくなっています。
それは大人が子供の夢を潰してしまうからです。

最後に発する言葉は「夢みたいなことを考えるな、現実は厳しいのだ」と。

夢さえもたせてくれませんね。

そして夢も希望もない大人に成長していくのです。
大人になってからも「夢みたいなことを考えるな、現実は厳しいのだ」
といい続けられます。

本当はいくつになっても誰でも夢は持っているものです。

「できない」「無理だ」「社会は厳しい」「自信がない」などと
心の障害を取り除いてやれば、今日からでも夢を育てることが可能です。

不完全なものへの憧れ

不完全なものへの憧れ

古来名人と言われた人々の作品は不完全さを持っています。
完全なものを仕上げる腕を持っているからこそ不完全さを
表現できるのです。

不完全さは未来への可能性を秘めています。
しかし、完全なものはそこから衰退していくことを知っているからです。

敢えて不完全さの中で無限の創造性を表現しているのです。
「不完全の完全」こそ、最高に高められた名作と言えるでしょう。

お釈迦様も、「本当に完全なるものは不完全である」と説いています。

名作と愚作は似て非なるものです。

愚作はどこまでも愚作であって名作になる可能性はゼロに近い。

本来求道者にとって悟りは終着点です。
なのに悟りを得た修行僧でさえ、なおも修行に勤しんでいます。

その姿こそが悟りの人なのでしょう。

悟りを得たと豪語する人に悟った人など誰もいません。

人生は不完全なものです。
だからこそ人生に生きがいを感じることができるのではないでしょうか。

完成された人生などきっとつまらないものだと思います。
そういえば不完全な人に何がしの魅力を感じるのは、未来に可能性を
秘めているからでしょうね。

人間は本来不完全な生き物です。
人間が完全なる生き物であれば、世界は終わりに近づいていること
を暗示しています。

真に愛すべき人は欠点だらけの人です。
なぜなら明日に向かって人間らしく生きてるからです。

「不完全の完全」とは含蓄のある言葉のように思われますね。